Penguin Diary

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webデザインをお仕事にしている、元アパレルバイヤーの日常記録です。

11 : books【色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年】

 

 

村上春樹を私が語らずとも、多くの読者がすでに語りつくした後だと思うが
生粋のハルキストとはどうにも嗜好が違う私には、ノルウェーの森より
こちらの変哲のない物語が好きだ。

まず、この物語では、幾多でてくるすべての伏線が回収されない。

謎のすべては第三者の口から語られ、
多崎つくるのどこか冷めた目線ですすんでいく。
(本人はそうは思っていないだろうが)

それは、読者に想像するスペースを存分に設けてくれている。
名前に色を持つ、個性が異なる多彩な人物が登場する。

それは、身近にいる人物に少しずつあてはめていくことのできる個性だ。

人物描写に時間をかける村上流の文脈は、
この物語では伏線を一切回収しない前提のもとでは、
生き生きとその効果を発揮する。

主人公の多崎つくるは、名古屋に生まれ育った
金銭的に何不自由のない家庭で育ち、
特に多くを求めるわけではなく
主張の少ない青年である。(あくまでも、本人目線ではそうだ。)

偶然により仲を深めた仲間全員の名前に
色に関する漢字が含まれていたが、多崎にはそれがなかった。
それがずっと独りぼっちでいるような気に彼をさせていた。

名前とは、ほぼすべての人間が、
自我が確立してから自分で決められるものではなく
親または親族またはそれに近しい立場の人間から
生まれてすぐに与えられたものだろう。

何不自由なく育った彼だが、コンプレックスもしくは
疎外感に近い気持ちを味わったのは恐らく描写からして
これが初めてだろう。

濃密な、学生時代を彼らとともに過ごした多崎だが
進学により、そんな仲間と離れ
一人だけ名古屋の地を離れ東京で一人暮らしを始める。

しかし、突然に
その親友である彼らに絶縁宣言を言い渡される。

多崎はすがりつくことなく、ただただ
その絶縁宣言を一人きりで受け止め
絶望の淵を一人きりでさまよい
死の川を目の前にしながら、
もう何度もそちらに渡ろうかと思いながらも、
やはりたった一人きりだったが、
奇跡的に現実世界に生きることをもう一度選択することができた。

ただ、死の川をさまよう前とは完全に身も心も変わり果ててしまったが、
それでも彼は「駅をつくる」という
ただ一つの自分が心から打ち込めることに専念する。
大切な何かを失ってしまった抜け殻の体で。

そうやってふらりと生きていた彼だが、
新しくできた恋人に心の欠損を指摘され、
長く心の奥に封じてきた過去のトラウマに向き合うことを促される。

つくるはあくまで、いつもどうして受け身だ。
自分というものを彼は振り返らない。
ただひたすらに理知的で、冷静で、色がない。

過去の回収を促した恋人の名に色名はない。
だが、服装の色彩センスおよび性格を反映させたスタイリングが素晴らしく、
目の前におりたったかのような描写だ。
多崎の心の無との対比によって、より鮮やかにくっきりと、
この女性が生き生きと映し出される。


この後、無であり色のをもたなかったつくるは
この恋人ともっと長く一緒にいるために、
過去の回収へと奔走する。
赤の名前、白の名前、黒の名前、青の名前。


過去の人物たちが、現実世界に生きている描写とともにあらわになるにつれ
つくるの色彩は少しずつ足されていく。

そして、順にモノクロだった過去が色を帯びていき
最後の人物に会うため、彼はフィンランドへ行く。

だが、その直前、つくるに過去の回収を促した恋人が
見知らぬ初老の男と歩いているのを目撃してしまう。
かまわず、彼はフィンランドに発った。

フィンランドは実に色彩豊かな国だ。
マリメッコイッタラムーミンを生んだ。

初夏の陽気の北欧は、冬の時期の凍てつく空気を忘れるほど
晴れやかな空が広がる。

そして、彼は最後の巡礼を行う。


日本に帰った彼は、恋人にたまらなく会いたくなる。

だが、恋人はつれない。
すぐに会うことはしてくれない。

もともと、この恋人はつくるに対して
虚無で味気のない男と感じており、
まだそこまで恋心が盛り上がっていないことを
そこかしらで表現していたため驚くべきことではない。
また、つくるも恋人も決して若者ではない。

それまでのつくるであれば
恐らくこの段階で、身を引いていた。

だが、過去を回収し、失われたピースを取り戻した彼は、
もはや多くの色であふれていた。

自分は無であり色がないと思っていた彼には、
とめどなく内内に色をひめていた。

彼は恋人をあきらめない。
手放してはいけないと、初めて思った。
彼の人生は、もう一度、ここから新たな出発点を迎える。


読書家ならば、また日本語に長けた人ならば
この本は決して、比喩や文脈やストーリーの輪郭に
満足がいくものではないだろう。

だがこれは技巧書ではない。

移り変わりゆく彼の変化と、鮮やかな色彩に身をゆだねる物語なのだ。
さながら、船旅のような。

そのゆるやかなスピードに、その移り変わる景色の細微な変化に
気づき、楽しむことができないとこの本は粗悪な本だ。

また、村上氏のシティライクで気取った視点に着目するのも
本の批評としてはそぐわない。

学生運動の若者像と、いま現在の若者像に
そう大差があるわけではない。

緩やかな、船旅に出かける気持ちで
ぜひこの本は読んでほしい。

bon voyage!